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信じられないものはインターネットだけではないけれど

2016年3月24日

私は人と会う仕事をしていますが、そのかたがたの多くがインターネット上に書かれている間違った情報を信じ込んでいます。

私はそれらの情報が誤りであることを繰り返し指摘します。しかし一定の割合の人々に対しては徒労に終わります。人の、一度信じた情報を訂正する能力は意外に低いのです。

もう少し正確に言うと、インターネット上の情報は完全に間違っているとまでは言えないものの、情報の受け取り側が頻度や程度をいかようにでも解釈できるように書いてあるものが非常に多いのです。

よくある例は薬の副作用に関することです。

たとえばSSRIはセロトニン症候群が起こる恐れがあるので使いたくない、という人がいます。たしかにセロトニン症候群は重大な副作用ですが、そうやたらに起こるものではありません。また、セロトニン症候群を起こす薬剤はSSRIだけではありません。

「そのような危険がないかどうか確かめるためにもごく小量から始めるのですよ。おかしいと思ったらすぐやめて良いのです」 などと説明しても、容易に耳を貸しません。こうして世界標準のうつ病の治療が日本では否定されていくのです。

これはほんの一例ですが、医療以外の分野でも、芸能人のスキャンダルから先進的な学術研究に至るまで、いい加減な情報がインターネットにはあふれています。

では、インターネットではなく紙の本であれば情報は正確なのでしょうか?

そうではないことが皮肉にもインターネットの普及によって明らかになりつつあります。

もちろん、インターネットが出現する前から不正確、あるいは誤った情報が記載されている紙の出版物はたくさんありました。UFOやUMAはその代表格です。ただ、全体的な傾向から見れば、正確である割合はインターネットよりは高いでしょう。これは出版へのハードルがインターネットでの情報発信より高いためです。

結局のところ、人が与えられた情報が正確かどうかを判断できるようになるためには、正統な勉強を続けていくしか道はありません。その基本は言うまでもなく学校での勉強です。そして、学校に通わなくなっても、自ら勉強していく必要があります。「学校で教わったことなど生活に役に立たない」というのは大嘘なのです。そのような言い方は学校の勉強が理解できなかった人が自己を正当化するために言っている場合がほとんどです。

なお、独学というものは、どこが重要であるのか掴みにくい場合があります。「先行く者」から教わることも必要です。この点、社会人が改めて学校で勉強したり、学校ではなくとも各種の勉強会に参加することはとても有意義です。

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