香取市息栖にある神社で、鹿島神宮・香取神宮と並んで東国三社に数えられています。入口は何気ない感じなのですが、立派な参道が伸びていて深い奥行きがあります。
社殿になります。
全体的な見取り図です。神社を正面に見てその背中側は常陸利根川です。このあたりは大正時代まで交通の要衝として栄えていたのです。
かつて関東地方は海が内陸まで入り込んでいました。とくにこの茨城南端・千葉東端には香取海が広がっていました。神社にあった古代の地図です。
中世までの関東は船で移動するには便利であったかもしれませんが、人が住んで農業を営むには不利な地形でした。日本の歴史始まって以来、歴代の政権は水浸しの関東をなんとかしようと努力してきました。特に江戸時代になると人口が増加したため、食糧増産が急務となりました。塩水の海を干拓して農地化して各地に新田ができました。このようにして湿地は減り、現在のような関東平野が完成していったのです。
徳川家康は豊臣秀頼から関東の地を与えられ、治めるよう命じられました。表向きは家康の功績に対する恩賞であり、また北条など敵対勢力を抑えるためでもありました。しかし実際は耕作に不便な土地を割り当てて、家康の勢力が拡大しないようにする、という意図もあったはずです。しかし徳川幕府は広大な湿地を農地にして、農業生産を上げていきました。まさにピンチをチャンスに変えたと言えるでしょう。