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會津藩校日進館

2019年月日

日進館は会津藩の武士の子弟のための学校でした。現代で言えば小学校から高校ぐらいまでに相当するのではないかと思います。住所は会津若松市河東町南高野字高塚山10です。

日進館の成立は1803年です。江戸時代でもかなり終わりのほうです。この学校が何故できたかというと、江戸時代が進むに連れ道徳が退廃して武士のモラルが緩んできたためです。このあと外国船が日本に来るようになり、激動の幕末につながっていくわけですから、この学校ができたタイミングとしては悪くなかったのだと思います。新島八重の兄である山本覚馬は日新館に学び、のちにここで教鞭をとっています。

現在の日進館は「会津藩校日進館」という展示館になっています。ほとんどが戊辰戦争で消失していますので、現在のものは1987年に復元されたものです。運営母体は地元自治体かと思ったら、株式会社のようです。ただweb上を探してもその会社の詳細はありません。まあ、地元自治体と何らかのつながりはあるのだと思います。

門を入ると南側に入場券売り場があります。入場料は大人620円。あとは順路の表示に従って進んでいきます。

まず素読所があります。低学年の学生の学びの場です。

大成殿には孔子像。

日本初の水泳用プールですがただの池にしか見えません。

敷地内は直線的な設計となっています。つい最近まで残っていた各地の木造の校舎に通じるものがあります。

素読・書学・医学・弓道・砲術・天文学・水連などさまざまな学問と武道の教育が行われており、当時としては高水準の学校でした。建物を建てるのも費用がかかりますし、人も多く雇わなければなりません。会津藩の並々ならぬ決意が感じられる場所でした。

一つ疑問がわきました。これは日進館から見た風景です。会津若松の中心部からかなり離れたところにあります。江戸時代、現代ほど会津若松の町も現代ほど大きくなかったはずですから、たとえば鶴ヶ城近くあたりにあってもおかしくなかったと思うのですが。なにか理由があったのでしょうか。

今回この場所を訪れたのは「逃げ水」のMVのロケ地ということもあります。MVを見てから訪れるのも一興でしょう。

會津藩校日進館

逃げ水(乃木坂46)


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