[ Top > 日記 > 2019年 ]

手賀沼干拓発祥之地に行ってきました

2019年10月27日

印西市の松山下公園という運動公園がとりあえず目標になります。松山下公園の北側にこの公園の正面入口があります。ここから県道59号線に沿って300mほど西に行くと、右側に印西市永治プラザという施設があります。ただ、道路から少し奥にありますので建物が直接見えず、見つけにくいと思います。住所は千葉県印西市浦部411-3。永治プラザのウェブサイト内「アクセス」に地図があります。

ここを右に見て更に奥に行くと、「大六天」の立て札があります。

ここにちょっとした広場があり、おそらく車を停めても大丈夫です。ただし自己責任で。

奥にこんもりした木々の集まりが見えます。

近づいてみると「手賀沼干拓発祥之地」の記念碑がありました。

そして森のなかにかわいい大六天神社がありました。

さらに奥に入ると小さな公園のようになっており、下手賀沼の一部を見ることができました。

関東地方の北半分はその昔、香取海という入江が広がっており、水浸しの状態でした。住民たちは水害や交通の不便さ、農業のやりにくさに長らく悩んでいました。この香取海の名残が霞ヶ浦・手賀沼・印旛沼などです。

江戸幕府が成立すると利根川東遷事業を始めとしてさまざまな治水工事が行われるようになりました。しかし手賀沼の干拓が完成したのは昭和の時代になってからでした。これは近くの印旛沼についても同様でした。

私が中高生の頃(昭和の終わり)は手賀沼は日本一水質が悪い場所として知られていました。現在は相当きれいになっているのではないかと思っていました。しかし千葉県は「魚が釣れても食べるな」などと警告を出しており、いまでもそれほど浄化されたわけでもないようです。

手賀沼湖畔は野鳥が多いことから山階鳥類研究所や我孫子市鳥の博物館が作られており、また公園が多く、住民の憩いの場となっています。


[ Top > 日記 > 2019年 ]