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法要でお坊さんが話したこと
2019年12月19日
家族の四十九日の法要でお坊さんが話した内容が面白かったので記しておきます。
- 「死んでも意識があり声が聞こえ目も見えるが、周りの人はあなたの問いかけがわからないので周りが狂ったんじゃないかと思えてしまう」
- 「医者は『ご臨終です』と言うが、あなたは死んでいることがわからないので『何だこの藪医者は』と思ってしまう」
- 「死んだかどうか自分で確かめるには、あなたの腕を胸に当ててみると良い。死んでいれば腕は胸を通り抜けてしまう」
- 「三途の川で船に乗せてもらえない人がいる。そういう人に限って『オレは代議士だったんだ』『オレは〇〇社の会長だったんだ』と威張る」
- 「船に乗せてもらえない人は川を歩いて渡るが、川底にはお金が落ちている」
- 「川を渡り終えると向こう岸に焚き火をしている人がいて、『その木に服をかけて乾かしなさい』と言ってくれる。服をかけた枝のしなる人ほど生前の罪が大きい」
- 「地獄に行くまえに映画館みたいなのがある。そこにはあなたのかつての親族が観客として集まっている。そこにあなたの一生が映し出される。事実だけでなく、あなたの心の中も。それによってあなたの行き先が決まる」
私は最初、このお坊さんの話をうなずきながら聞いていましたが、あまりにもバカバカしいので途中からうなずくのを止めてしまいました。そしてあとで家内から「あなたがうなずくのを止めたので可笑しかった」と笑われました。義母は「耳が遠いのでお坊さんが何を言っているのかわからなかった」と言いました。
死後の世界や霊のようなものがあるとすれば、この科学の時代にわからないないはずがありません。何しろ地球を通り抜けてしまうニュートリノでさえ観測が可能なのですから。それに、霊のようなものが物を見聞きでき、判断できるのであれば、私たちが持っている目や耳、脳は必要がないということになります。
こういうデタラメを言って人を惑わせる宗教というものは、いいかげんに考え直したほうがいいと思います。税制で優遇されていることを考えると腹が立ちます。
お坊さん 見てきたような 嘘を言い
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