まずは行方市にある佃煮創業の碑を見に行きました。国道355号線沿い、行方市最南端の旧麻生町にあります。
住所は行方市粗毛42ということでしたが、私のナビではなぜか番地が41の次が43になっていましたので、41にセットして向かいました。
ちなみに「ほぼけ」の意味は「ほぼ毛がある」「ほぼ毛がない」のどっちなのでしょうか。中間?
それはさておき。場所は上羽神社の中とのことなのですが、その神社が全く見当たりません。ひょっとしたら通り過ぎたのかもしれないと思い、ちょうど細い脇道がありましたのでそこを逆行する形で行ってみました。そうしたらナビに「行方市麻生庁舎」がありましたので、行ってみれば何かわかるかもしれないと思い駐車場にまず入りました。
都合の良いことに駐車場に麻生地区の観光案内があります。ラッキー! そこに「上羽神社」が載っていました。どうもナビの場所の少し先になるようです。
神社はすぐに見つかりました。しかし車を停める場所がありません。仕方なく隣接する空き地に停めました。
まずは神社の正面です。
上の写真で鳥居の左奥にポールが見えますが、そのさらに奥に古い石碑がありました。
文字がたくさん書いてありますが私の知識ではまったく読めません。神社の入口にあった説明だと、この地域の佃煮創業者である奥村吉郎兵衛を讃える碑、とあります。佃煮の製造は江戸の佃島で始まったと聞いています。この人は佃島へ佃煮の作り方を勉強しに行き、それをこの辺に広めた人なのです。ですから「佃煮を発明した人」ではありません。
それまでは霞ヶ浦の魚は食用にならなかったらしいのですが、それを食べられるようにしたというわけです。佃煮はハゼのものだったようですが、当時の霞ヶ浦は水門がなく汽水湖でしたから、ハゼもたくさんいたことでしょう。同じ茨城県内でも涸沼は水門が閉まっていませんのでふつうにハゼがいます。
その奥には慰霊碑がありました。
こちらは西南戦争から太平洋戦争に至るまでの麻生出身の戦没者の慰霊碑です。太平洋戦争後40年ということで作られたようです。西南戦争から、というのはおそらく佃煮が西南戦争の食糧として役立ったという事実と関連してなのでしょうか。
ここから常陸利根川沿いに10kmほど行くと、川の堤防に茨城県トライアストン発祥の地があります。潮来市潮来3510に霞ケ浦河川事務所があり、その真ん前の堤防です。
トライアスロンそのものが歴史が浅いスポーツであるため、この碑も真新しい感じです。日本初のトライアスロン大会は1981年になります。
このあたりで毎年潮来水郷トライアスロンが行われていますが、眼の前の常陸利根川を泳ぐようです。水質は大丈夫かな....汚染物質も心配ですが、水の中にはやばいアメーバもいたりしますから。
すぐ近く(といっても150mぐらい上流)に水神社というのがありました。たいへん小さな場所で、当然宮司さんなどはどこにいるのかまったくわかりません。住所は潮来市あやめ1-12になります。
奥に入ると小さなお社がふたつ。これ、本殿なのでしょうか? 写真の右上に見えるのはJR鹿島線で、このすぐ向こうが潮来駅です。
境内にこれまた古い記念碑がありましたが、読めません。
この神社の前の堤防から見た常陸利根川と鹿島線の鉄橋です。鹿島線は次が十二橋駅、その次が香取駅になります。