高速道路を使うと割と短時間で行けるので、見てきました。1872年に開設された施設です。
こういう場所を見て私が気になったのは職員の待遇です。
当初は官営の工場であり、絹製品を輸出して外貨を稼ぐという目的の他に、ここで製糸の技術を学ばせて、全国にそれを伝えるという意味もありました。しかも働くのは士族の娘などが多かったということですし、労働条件は現代から見てもかなり配慮されたものであったことがわかります。以下のような診療所や寮も作られていました。
しかし、1891年に工場が民間に払い下げられてからは当然利潤追求の場となり、就労時間が伸ばされるなど労働者の条件は悪化して、労働者の質そのものも下がりました。
世界遺産として売り出すためでしょうが、そのへんのことはパンフレットなどに書いてありませんし、ガイドの人も当然言うわけがありません。
もちろん労働条件と言っても戦前には今で言う人権などなかったわけですから、単純に条件だけ比較してもあまり意味がありません。そのような時代を越えたものごとの判断は慎重に行う必要があります。
韓国人が「日本に支配された」と過去のことを騒いでも、植民地を持つことは世界中で行われていたのですから何の意味もないのと同じです。現在の価値観で過去のことを判断すると大きなミスを犯します。