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私が診療所を開業したときの経験〜これから開業を考えている人のために〜

2021年1月31日

私は2006年に診療所を開業した。開業前後にいろいろ困ったことがあった。当時の経験なので、今も当てはまるかどうかはわからない。しかしこれから開業する先生の参考にはなるかもしれないので、ここに記す。

開業支援コンサルタントは不要

勤務医が開業しようとしても、何から手を付けたらわからないであろう。このようなとき、開業専門のコンサルタントに頼んでしまいがちである。しかしこれはやるべきではない。私は依頼しなかった。他の開業した友人たちも同じ意見であった。

なぜか。彼らは医師の経験がない。つまり医業とは全く無関係なところで働いてきた人たちである。単なる商売人だ。そのため、もっともらしくアドバイスしてくるものの、その内容はあらゆるところで的外れなものが多い。

たとえば、「集患のための戦略」としてウェブサイトの作成やチラシ、新聞広告、野立て看板のようなものを提案してくることがある。実はこういうものはさほど役に立たない。

もちろん最初期の段階では何らかの形で「開業しました」という宣伝は必要だ。しかしそれは基本1回限りでいい。

実は、いちばん効果のある宣伝は「口コミ」なのだ。とくに主婦の口コミの力はすごい。集客のためにはあなたが最善と思う医療をやっていればそれでよく、そのことは口コミによって広がっていくのである。

とは言うものの、開業は人生ではじめてのことだし、何らかのアドバイスはもらいたいと思うだろう。本来なら先輩の開業医がいちばん良いのだが、一般に医者は忙しすぎる。現時点では医療機関に出入りしている業者が良いというのが私の考えである。例えば薬や医療材料の卸業者や会計事務所などである。彼らは医者以外では医業について大変良く知っている人たちである。実際、このような業者は開業支援を行っているところが多い。業者の選定は先輩開業医に尋ねてよいだろう。

私の知人でサラリーマンから独立して蕎麦屋になった人がいる。その人は最初蕎麦屋に弟子入りしたが、全く役に立たず辞めてしまったという(サラリーマンとは世界が違いすぎてついていけないというのもあったようだ)。その後厨房業者にすべて教えてもらったそうである。蕎麦の打ち方も含めて。同じようなことがあるものだと感心した。

ちなみに私はと言うと、ほぼ全て自分でおこなった。開業の準備が整ったところで会計事務所と契約したが、そこが開業支援を行っていることを知ったのはのちのことである。

銀行でも開業支援をしてくれるところがあるようだが、私が聞いた範囲ではあまり評判は良くない。資金の融資のみにしておくのが無難だ。

書籍としては私の頃、日経の「開業医マニュアル」というのがあった。しかしあの日経であるし、価格がバカ高い上に殆ど役に立たなかった。それよりも、本屋さんで普通に売っている「個人事業の始め方」「起業のしかた」などの本のほうがよほど参考になる。

場所選定

場所の選定は、集客と自分の生活の2点を考慮する必要がある。まず集客である。

東京や大阪のような大都市では人は公共交通機関を使うので、場所はそれに沿って考えれば良い。何も難しいことはない。駅に近いほどお金がかかるが、そこはバランスを考えるしか無い。

いっぽう大都市以外では車での移動が多いので、駐車場を確保できることが最も重要である。人口10万〜20万ぐらいの地方都市で駅ビルや駅の近くに開業する人がいるが、患者さんは有料駐車場を使う羽目になったりするので好ましくない(医療機関側が駐車料金を出すと当然利益は減少する)。それなら郊外の土地が安いところのほうが良い。駅近くだとお目当ての駐車場も永久にあるとは限らない。私が知っている開業医で駐車場が使えなくなり診療所を移転した人がいた。

自分の生活について考えると、都市部がよいと考える人は多いであろう。問題は生活環境と子供の教育である。しかし東京都内は医者は飽和状態に近い。そこで狙い目は東京に近いが人口が増えつつあり医者が足りない場所である。たとえば埼玉県の東武東上線沿線などである。私の先輩はそのような地域で精神科を開業したが、初日に初診が16人も来たという。その後、
「毎日帰りは夜の10時だよ」
という話を聞いた。繁盛しているのである。

割り切ってしまえばもっと田舎でも全然やっていける。私の住んでいるあたり(北関東)は開業医は東京から通っている人が結構いる。

私の親族で青森の漁村で開業した者がいる。人口も減っているし大丈夫かと思っていたが、周囲の開業医が皆年寄りで、既存の病院もやる気が無いことが幸いして、毎日患者さんが80人ぐらい来ているそうだ。人口密度は低くても極端な車社会なので診療圏が超広いのだ。スキーに山歩きと、プライベートも充実しているそうだ。ただし彼は単身赴任である。

子供の教育についてだが、最近は田舎でもかつての二流、三流の私立高校が特進クラスを開設し、東大に合格者を送り出すようなケースが結構ある。だから、かつてほど東京にこだわらなくても良いという面もある。まあ開成や筑駒にはかなわないが。

建物は壊すのが簡単なものにする

余り思いつかないことだろう。個人の診療所を永久に続けることはまずできない。跡継ぎがいてくれれば理想だが、そんなケースは少数派だ。それに建物はだんだん劣化していき、いつかは取り壊し、または全面的な建て替えが必要になる。途中で絶対に手狭になる。だから、リフォームや増築、取り壊しがしやすい構造とするべきである。

私は鉄骨ビルの1階部分を借りてスタートしたが、ビルの他の入居者がいずれも事業に失敗して出てしまい、私が土地と建物を買い取って現在に至っている。バブル全盛の頃に作られたもので、鉄骨もコンクリートも分厚い。私は一代限りで診療所を終える予定だが、取り壊しの費用を考えると頭が痛い。

建物の設計は医療機関建築の経験が豊富な所が良い。私はよく知っているリフォーム業者に依頼した。よく出来たほうだとは思うが、ちょっと物足りないところもある。自分の出身大学の病院を建てたところに設計を依頼した人がいたが、出来栄えに満足したそうだ。

建物を立てる場合、
「1平米あたり〇〇円が相場だ」
などともっともらしく言う人がいる。これは嘘である。ある建築士に尋ねたところ、
「相場はありません。安い材料を使えば安くできるし、高い材料を使えば高い。どのようにでもできるんですよ」
という返事であった。

開業直後に尋ねてくる怪しい業者は断れ

いざ開業が決まると、頼まれてもいないのに診察券やネームプレート、封筒、名刺、ハンコ、カルテフォルダなどの小物を売りつける業者がセールスにやって来た。そのこと自体はいいのだが、一度商品を依頼すると彼らは二度と来ない。しかもその商品は出来が悪い物が多い。絶対に頼むべきではない。

いまはネットでいろいろな業者を探すことができる。私は文具ならカウネット、ちょっと特殊なものだとモノタロウを利用する。医療用品専門の通販サイトもあるので便利である。よくわからなければ卸さんに尋ねるのが良い。卸さんが取り寄せてくれる商品の種類は多い。卸さんはいろいろな場面で頼りになる存在である。

広告会社も断っていい。必要ならこちらから連絡するから、と言っておくこと。相手の言うがままに看板など出してしまうと毎月の費用がかかる。どんな業者でも医者となると高い値段をふっかけてくる。

なお卸さんや製薬会社は会って話を聞いておくこと。卸さんは取引するために契約が必要なことが多い。産業廃棄物の業者も必要だろう(医師会から指定されることもあリ)。

医師会について

今の時代でもまだ医師会に入っている開業医のほうが多数派であろう。私も入った。しかし都市部を中心に入会しない者も増えてきた。

医師会は開業医が作る一種の圧力団体である。ひとりひとりでは声が小さいので、まとまって周囲に圧力を掛けることが目的である。圧力と言うと診療報酬を引き上げるなどというものもあるが、武見太郎の時代のように、保険では抗生剤が使えなかったのを使えるようにする、というような、国民にとって利益が大きい内容のものも結構ある。

また、医師会は会員に対してトラブルの相談に乗ってくれたり、検診などの仕事をくれたりというメリットもある。法的に義務となっている講習の案内もしてくれる。親睦事業もある(こういうのが嬉しいかどうかは人によるが)。

余り知られていないが、医師会に入っていないと地域の国保から舐められることもある。健康保険のトラブルがあったとき不利な決定を下される場合があるという話を聞いた。たとえば資格喪失時の扱いなど(話の出処は医療事務を教えている先生)。

そういうわけで、医師会は基本的には入会したほうが良いだろう。

しかし、煩わしいこともある。たとえば夜間休日急患診療所や介護認定審査委員会、検診などの当番がデューティーだったり、よくわからない委員会の会議に出なければならないような場合も多い。

医師会の欠点は開業医の入会金がべらぼうに高いことだ。年会費も平均的サラリーマン1か月分の給料よりはるかに高いから、本当に入会するメリットがあるのかと思ってしまう。また田舎ほどヘンな縛りがある。以前と比べれば民主化したとは思うが。

匿名掲示板の悪口は気にしなくていい

開業すると、どんなに一生懸命やっていても、ネットの掲示板には悪口を書かれる。しかし、少し調べてみるとわかるが、こんなに尊敬できる先生が、と思われるような人でも必ず悪口を書かれているのである。

特に医者は世間からは悪く言われている。ありもしない病気を作り出しているとか、儲けすぎているとか、昔から枚挙にいとまがない。だからそういう書き込みも仕方ない。気にするだけ無駄なのだ。

余談だが、開業医になっても手取り収入はほとんど増えない。それは思った以上に経費がかかることもあるが、開業時の負債があるからである。借金を返し終わる頃には建物のリフォームだ何だと大きな出費がいろいろ増える。開業医が良かったのはせいぜい昭和の時代までである。

匿名掲示板に悪口を書かれると、実はいい事もある。それは問題患者さんが減ることである。そういう患者さんの性質について細かく書くことは差し控えるが、そういう人は匿名掲示板を熱心に見ていることが多いので「じゃああそこには行かないようにしよう」となるのである。

最近、「掲示板の悪口を消してあげます」という宣伝が来ることがある。第三者からの要請で書き込みを消すことはできないので(弁護士等は別)、これは詐欺である。

融資はどこに頼むか

私は日本政策金融公庫にお願いした。以前は国民生活金融公庫と呼ばれた。ここは中小企業向けであるので融資はしてもらいやすい。

条件によって無担保の場合もあるようだが、私の場合住んでいる土地と建物を担保とした。これは妻の実家の所有物なので、義父にサインをしてもらった。開業が軌道に乗るかどうかは不確定な要素なので、月々の返済額はなるべく抑え、仮にサラリーマンに戻ったとしても支払い可能なものとした。特に精神科はスロースターターで、患者さんがコンスタントに来るようになるには2〜3年かかるのが普通である。

標準的な融資はやはり銀行だろう。しかし銀行によって開業資金の融資に熱心なところと消極的なところがある。開業前かかりつけ医に尋ねたら、地元でいちばんシェアの大きいA銀行はダメだという。2番手のB銀行のほうが親切とのことだった。

私の父から聞いた話だが、地元の地銀に行ったらけんもほろろの扱いだったそうだ。しかし大学の先輩で医師会の会長をしている人と一緒に再度訪ねたところ、「まあS先生がおっしゃるならしかたないですなあ」と言われて融資を受けられた。このような人脈も重要だろう。特に私大は仲間意識が強いから、先輩を大いに頼ったら良いと思う。こういう点で国立大出身は少し不利かもしれない。

雇う人はどうやって選ぶか

私の場合はまず求人広告会社にお願いした。新聞のチラシに出してもらったのである。募集人数は事務員一人だったが、十数人の応募があった。募集条件は法律で決まりがあリ、差別的なことは書けない。だからそこは詳しく記さず、自分が希望するタイプの人を選考の段階で絞った。

具体的にどういう人を選んだらいいのかは未だに私はわからない。働く人を選ぶなどということは人生始まって以来のことであったのだから。いちおう即戦力が必要だったので、経験者から選択した。まあ、究極の選択としては仕事ができる人より性格がいい人が良いとは思う。

そもそも一緒に長くやっていける人を一発で見抜くなど不可能である。結婚を考えればわかるであろう。失敗から学ぶしか無い。

薬局

今の日本は診療報酬が院外調剤を行う方に利益誘導されているので、院外薬局を利用するしかないだろう。私は門前薬局に来てもらえないかといくつかの薬局チェーンに連絡してみたが、全て断られた。しかし小さいながらも地方都市であるから、患者さんは思い思いの薬局に行っていた。開業してしばらく経ってある薬局チェーンから「近くに薬局を作りたい」という申し出があり、それは了承した。

ところが面白いもので、患者さんはクリニックから近い薬局に行くかと言うと、そうでもないのである。いまのところ近くの薬局より他のところに行く患者さんのほうが多い。

まあ、本来は薬は別になどというものがおかしいのである。薬剤師が強力に運動してできた制度だから、手間がかかる上に患者さんが支払う金額は従来より割増となり、得をするのは薬局だけである。

開業のメリット

開業の最大のメリットはお金ではない。上に述べたように、今の開業医は昭和の時代のようには儲からない。それよりも、気分が楽になることである。とくに当直から開放されること。勤務医は昼間働いて、夜当直し、翌日普通に働く。今考えると、若いからできたのだと思う。とくに20代の頃はメチャクチャだった。しかし私の場合は救急を取り扱う病院に勤務して難病が発症。開業してからは症状がほぼ完全におさまっている。ただし開業医は雑用がべらぼうに増えるので帰りは遅いのだが。それでも気分は良い。

診療の心構え

そんな事はわかりきっているよ、と言われるかもしれない。しかし良い医療をするだけではだめなのである。私がAKB48グループの握手会に行って気づいたことがある。それは「外来診療は握手会と同じ」だということである。

「あの先生は親切に話を聞いてもらえてよかった」
「にこにこしていて親切だった」
「丁寧だった」
「安心した」
と患者さんに言わせることは、病気が治るのと同じぐらい大事なことなのである。

私は本来の性格もあってこのような対応には程遠いが、大事なことだと思っている。そういう意味では、私の目標は岡田奈々さんかもしれない。中西智代梨さんでも、渕上舞さんでもかまわないが。


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