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旧吉田家住宅歴史公園

2022年2月3日

柏市の吉田家は江戸の初期からの記録が残っている地元の名家です。ここの住宅が旧吉田家住宅歴史公園として整備されています。場所は柏市花野井974-1です。

駐車場が広い原っぱの中にあるような感じですが、もちろんここも敷地です。長い塀があり、ここをたどっていくと住宅の入り口(長屋門)にたどり着きます。その正面に主屋があります。

入ってすぐのところに雛人形が展示してありました。

上の写真の左側に奥に続く廊下が少しだけ見えています。実はこの中がものすごく奥行きがあって広いのです。部屋がめちゃくちゃたくさんありました。

吉田家は代々地元の名主でしたが、江戸中期から金融業も含めた商業も行っていました。1805年代から醤油の醸造も始めています。これは復元された一斗樽です。なお醸造業は1922年にキッコーマンに売却されました。

吉田家は1826年から「小金牧」(こがねまき)の管理を行っていました。「小金」の地名は松戸市小金として残っています。千葉県には江戸時代から軍馬の育成牧場である「牧」がほうぼうにあって、小金牧はそのひとつでした。房総の大地が畜産に適していることは現代の研究でも確かめられています。明治に入ると柏周辺の開墾を吉田家が行うようになりました。

とくに吉田甚左衛門(1874〜1941)は小林一三の影響を受けて、現在の豊四季団地の場所に競馬場(1928年)、ゴルフ場(1929年)を相次いでオープンしました。また柏駅前には「柏劇場」を作り、乗合自動車の会社を作り、手賀沼の観光開発を行い、という具合に地元を発展させていきました。事業は順調に行くように思われましたが、太平洋戦争が起こってしまいます。

戦後の吉田家は1975年に16号線沿いに「柏ローンテニスクラブ」をオープン。1976年には沢松和子が吉田家に嫁いでいます。これは「TTC吉田記念テニス研修センター」となり、国枝慎吾選手などを輩出しました。

もし甚左衛門の事業が今も続いていたら、柏は彼の夢の通り「関東の宝塚」となり、柏市はもっと早く開けていたことでしょう。

私が小学生の頃、常磐線の中距離電車は上野・日暮里・松戸・我孫子・取手と停車し、柏は通過していました。急行「ときわ」も上野を出ると我孫子・土浦...が停車駅でした。しかしいま中距離電車は柏に停車し、特急に格上げされた「ときわ」は我孫子ではなく柏に停車するようになりました。こういう変化がもっと早く起こっていたはずなのです。

柏の競馬場は東洋一の規模を誇っていましたし、遊技場(遊園地のようなもの?)も作られる予定でした。劇場がどんな感じのものになるはずだったのかはわかりませんが、宝塚を手本にしたのであれば、そのようなものだったのか。あるいは現在のAKB48劇場みたいなものなのか。甚左衛門は夢を広げていたことでしょう。

柏以外で成功したものとしては調布市の京王閣もありました。多摩川沿いの一大レジャー施設でしたが、こちらも戦争で幕を閉じました。名前だけは競輪場名として残っています。

日本全国、このように近代において地元の発展に力を注いだ人物がたくさんいるはずです。郷土史とはまことに面白いものです。

最後の写真は吉田家の竹林です。

参考資料

旧吉田家住宅歴史公園 http://former-yoshida.jp/


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